先日の休日、夫が子どもたちを連れて公園へ行くことになりました。
普段は私が子ども3人を連れていくのですが、この日は末っ子が寝てしまったので、夫が上の2人と出かけることに。
学校のお友達もよく集まる大きな公園なので、子どもたちは「誰か友達いるかな~?」とワクワク。
一方、付き添う大人には、子どもたちとはちょっと違うドキドキがあるんですよね。
公園の付き添いには、こんな育児もある
まだ子どもだけで遊ばせるのは少し心もとない年ごろ。我が家と同じように、パパやママが付き添っているご家庭も少なくありません。
公園は子どもたちの遊び場であり、親同士のコミュニケーションの場でもあります。
夫はもともと少し人見知りで、初めての相手と話すのが苦手なタイプ。仕事では「仕事モード」に切り替えていても、プライベートになると、そのスイッチはオフになるようです。
いや、これは私にもあります。
初めて会うパパやママを前に、
「何を話そう?」
「うわあ……ちょっと気まずい」
「何か共通の話題、あるかな?」
と、頭の中ではあれこれ考えているんですよね。
案の定、夫から電話がかかってきました。
「気まずいから代わってよ」
「もう公園から帰ってもいい?」
……お気持ちはわかります(笑)。
それでも、しばらく公園で過ごして帰ってきた夫。初対面の保護者との会話がいかに気まずかったかを話してくれました。
そんな夫に、私は、
「ありがとう。これも立派な育児ですからね~」
と伝えました。
目に見えにくいけれど、誰かがやっていること
「子どもを公園に連れていく」と聞くと、付き添って、遊んでいる様子を見守る姿が浮かぶかもしれません。
でも、その周りには、こんなこともあります。
- 子どもが普段、誰と遊んでいるのかを知っておく
- 保護者同士で、必要なときに話せる関係をつくる
- 家族の予定を確認して、調整する
- 知り合いのパパやママに挨拶したり、ちょっと世間話をしたりする
一つひとつは小さなことでも、気を配ったり、考えたりする力を使います。
「見えない家事」と同じように、育児にも、外からはわかりにくい「見えない育児」があるのだと思います。
今回、夫が実際に公園へ行ったことで、普段の付き添いに含まれている、その一部分を話せた気がしました。
もちろん、私にも、夫が普段やっていて気づけていないことがあるのでしょうね。
「そんなこと、頼んでない」
「別に保護者同士で関わらなくてもいいんじゃない?」
そう感じる方もいるかもしれません。
たしかに、誰とでも仲良くしなければいけないわけではないし、無理をしてまで会話をする必要もないと思います。付き合い方は、人それぞれでいいですよね。
ただ、ちょっとした挨拶や会話が、子どもの様子を知るきっかけになったり、何かあったときの連絡につながったりすることもあります。
だから、もし誰かがその役割を担っているなら、「そういうこともしてくれていたんだね」と気づけるといいなと思うのです。
夫婦で家事育児分担を考えるときも、「何を何回やったか」に加えて、その前後にある準備や調整にも目を向けられたら。お互いの負担の見え方が、少し変わるかもしれません。
愛情にも、見えない部分がある
こういう「見えることだけではわからない」という話は、家族への愛情にもつながる気がします。
「これだけやった」
「これだけしてあげた」
目に見える行動は、もちろん大切です。
でも、相手の様子を気にかけること。
相手が嫌がることをしないこと。
話を聞くこと。
何かをしてあげるだけでなく、ぐっと言葉を飲み込んだり、相手のペースを待ったりすることもありますよね。
形には残らなくても、そこには確かに、家族を大切に思って使っている時間や気持ちがあるのだと思います。
自分でやってみて初めてわかる大変さは、たくさんあります。
そのときに、
「これ、思っていたより大変だった」
「いろいろ調整してくれていたんだね」
と、気づいたことを言葉にしてもらえるだけでも、「わかってくれたんだな」と感じられることがあります。
すぐに全部を代われなくても、そのひと言がうれしかったりするんですよね。
夫婦は近い関係だからこそ、相手のしていることが、いつの間にか「当たり前」になってしまうのかもしれません。
自分の大変さはよくわかるのに、相手の大変さは見えにくい。私も、つい「できていないこと」のほうに目が向くことがあります。
だから、ときどき立ち止まって、
「相手は、どんなことに気を配っているんだろう?」
と想像してみる。
そして、気づいたら「そうだったんだね」「ありがとう」と共有してみる。
今回の公園の話のように、「気まずかった~」というちょっとした会話から、見えてくるものもあるのだと思います。
そんなふうに、お互いの見えない労力を少しずつ知っていくことも、夫婦で寄り添うことの一つなのかもしれませんね。